手放さないで考える
一時の感情やちらっと見かけた一部のニュースに対して「○○だ!」と呟いて後悔することがある。
様々な人の意見を見たり、その背景を知ったりして「実はこうだった(かもしれない)」としばらくして意見が変わる。
もっと考えてから発言しなくちゃな、全体を通して見なくちゃな、と毎回思うんだけど同じ失敗を繰り返しちゃうよね。
小学4年生の時、担任の先生が正解はAかBかというクイズを出してくれたことがある。
Aだと思う人は紅白帽子を白に、Bだと思う人は赤にする。(紅白帽子懐かしい)
問題自体は覚えてないんだけど、理科の応用問題みたいな感じで正解したからどうとかいうものじゃなかった。暇つぶしみたいな感じ。
で、なぜそのことを覚えてるかというと自分が人に流される人間であるということを自覚したから。
このクイズで私は前に座っていた当時好きだった子に意見を合わせていた。
なぜAなのか、私の理由は好きな人がAだと思ってるから。
クイズの途中で意見を変えてもいい。
好きな人が「あ!違う!こっちだ!」とBに変える。
私もそうか、そうなんだとBに変える。
もともと理系は苦手なのでよくわからなかったのもあるが、早々に考えることをやめて好きな人と同じ考えでいたいという気持ちが生まれたらしい(笑)
この話は何だ?ちょっとしたホラー?みたいな感じになりそうだけど(笑)
普段からあまり考えないで行動したりしてるんだけど(それはそれで大問題)なんていうか、考えることを手放してるんだよね。
なぜかって、怖いから。
私だけしか思ってなかったらどうしようって怖いから。
だから、同じような意見を持っている人に寄って行くし「○○じゃない?」と言われたら合わせる。考えることを放棄してるから簡単に合わせられる。
ただし、「△△だよね?」と他の人に言われても同調しちゃうので信頼は失う(笑)(笑えない)
完全なる八方美人。
ここまで自己分析できてるのに何で変えられないんだろう?
まだまだ、怖さが勝ってるからなんだろうな。
仲間がいないと不安で仕方ない。
アンチ意見
これも一意見として必要だとは思う。
言い方はあるだろうけど。
たぶん、たぶんだけど「こんなに言ってもいいんだ」と仲間が欲しくて流される人間はこの波に乗ってしまう。
しかも仲間から「いいね!もっと言って!」とおだてられるんだからいい気分だよね。
それでも、考えてほしい。
心無い発言で傷付く人がいることを。
追い込まれてしまう人がいることを。
ネット上では顔が見えない分、気が大きくなる。
顔も知らない人に言われた言葉、自分だったらどう思うかを考えなくちゃ。
こんな事言って偉そうだけど、私はさらに気が小さいので意見すら言いません。
言わな過ぎるのも問題、言い過ぎるのも問題。
難しいね。
考えろって言ってみたけど、そもそも私が考えることをやめている(笑)
すごい矛盾だ(笑)
でも、考える人間にならなくちゃ。
こんなこと言いつつも実は怖い。
「何言ってるんだこいつ」と言われるんじゃないかと。
Twitterの私の呟きをリツイートしてくれた人のページに飛んで呟きに対して何か言ってるんじゃないかと不安になりながらも見てる。(再びのホラー)
以前、チケットを譲りに出したときに
「譲るなら応募するな、迷惑」とリツイート先で言われていたことがあって相当へこんだ(笑)
もっと優しく言ってくれても…!と思ったけど(笑)そこから「重複してしまったので」の一言が大事だなと学んだりこちらのミスに気付いたりする。
…優しく言ってくれてもよくない?(引きずりをぶり返す)
これも報道の1部分だけを切り取った意見かもしれない。
言論の自由とはなんだろうか。
わからない。生きづらい世の中だ。
自分を曝け出して、自由なソルリ。
問題児だな〜と思っていたけれど、本来なら許される姿だったよね。
自由に生きていたイメージだけど、そうじゃなかったのかもしれない。
勝手に強い子だと思っていた、投げかけられる心無い言葉に蝕まれてしまったんだね。
それでも早い、早過ぎるよ…
私の中のソルリはどんな時も笑顔でした。
自由に、安らかに眠ってください。